【エール】文通をしていたのは実話?内容や手紙は残っているのか?




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窪田正孝さんが演じる古山裕一と二階堂ふみさんが演じる関内音は文通を通して結婚までされました。

現代でこういう事はほぼ無いと思いますが、これは実話だったのでしょうか。

また、実際にやり取りをした内容や手紙が残っているのかも気になるところ。

こちらの記事では文通をしていたのは実話なのか、更に手紙は残っているのかという事についても解説をしていきます。

それでは、さっそく見ていきましょう。

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【エール】文通をしていたのは実話?

エールでは古山裕一と関内音は凄く楽しそうに文通をしていましたよね。

モデルとなっている古関裕而さんと内山金子さんは実際に文通でやり取りをしていたのでしょうか?

ふたりが文通をしていたのは実話

文通をしていたのは実話となっています。

実話を元にドラマが作られているという事になりますね。

ふたりは手紙で数百通のやり取りをされました。

4ヵ月の文通&遠距離恋愛期間中に、オーケストラ13曲、歌謡曲10曲、室内楽3曲、計26曲を創作さています。

文通の数も凄いですが、作曲した楽譜も送るなんて流石作曲家ですね。

古関裕而さんと内山金子さんの関係を作曲家・シューマンとその妻ねたるクララになぞらえて、「そのすべてを『私のクララ』であるあなたに捧げます」とラブレターの中にも書いていました。

なんとロマンチックな。

スマホやパソコン等の液晶画面よりも、アナログな手紙なので言葉の響き方が全く違いますね^ ^

文通での交際を経て結婚

ドラマと同じ様にふたりは文通のやり取りのみで結婚されました。

1930年の6月には古関裕而さんは豊橋まで内山金子さんに会いに行き、その流れでふたりは一緒に福島に行って結婚。

古関裕而さんは20歳、内山金子さんは18歳の若さでのスピード結婚。

凄すぎる。

ふたりがこれほどまで早く結婚したのは何故なのでしょう?

古関裕而さんが国際作曲コンクールで入賞し、5年間のイギリス留学というチャンスがありました。

しかし、留学している間に他の男に内山金子を取られるのではないかと心配し、イギリス留学を断念して結婚を選択したそうですよ。

成功されている方はやっぱり行動力も凄いですね。

もし、この留学の話がなかったら結婚するのはもう少しゆっくりだったかもしれませんね。

ふたりが交際と言っても文通のみで、当時は周囲を驚かせる電撃結婚だったそうですよ。

現代でもこういう事があったらかなり驚きそうですが(笑)

手紙の原文は残っているのか?

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古関裕而さんと内山金子さんがやり取りをした手紙の原文は残っています。

数百通のやり取りをされた中でどういう内容の手紙があるのでしょうか。

作中では〝古山裕一様♡〟という様にいかにも女の子らしい可愛い書き方をしていました。

古関裕而さんと内山金子さんが書かれた手紙がこちら。

いやーどれもラブラブな文面ですね^ ^

読んでいてニヤニヤしてしまいました。

手紙の内容

手紙が残っているという事は分かりましたね。

やっぱり内容についても気になるところ。

現在分かっている部分を抜粋していきます。

年月日 差出人 内容
昭和5年3月30日 古関裕而 ・貴女が不美人だらうが、何んだらうが、そんな事は第二です。ただ貴女の、金子さんの気持ちに、その熱に、私は感じて居ります

・何んだか金子さんを残しては外国へ行きたくない様な気持がします。『文は人なり』貴女の手紙に依(よ)つて私は貴女のすべてを知り得たと信じます

昭和5年4月4日 ・現在、貴女を友以上の人と考へる様になりました

文末には「私の最も慕ふる内山金子様」と記している

不明 内山金子 お写真、私ほんとうに気に入りましたの、離すのは湯に入る時きりです。何時(いつ)も眺めてます。夜の勉強にも眠くなると貴方のお写真を見なほしては亦(また)やります
4月25日 古関裕而 ・長い間、今日は来るか、今日は来るかと待つてた貴女の御写真、今朝正に戴(いただき)ました

・私の考へてた以上、貴女の御顔の美しさ

※手紙とともに写真を受け取った

昭和5年4月29日 ・貴女を愛し、貴女から愛される様になつた自分故に、今、創り出しつゝある私の芸術は、最大価値のものです

・洋行、貴女に別れるかと思ふと、何んだか、行きたく、なくなります。貴女の傍(そば)にいつまでも居たい。いつまでも、いつまでも、離れずに居たい。英国の作曲家協会との契約は、五年以上です。五年間。あまりに長いです。五年間の間に、二人は、どうなるでせう

古関裕而さんは相当内山金子さんの事が大好きだったという事が分かりますね。

やっぱり文通だけで結婚まで行くなんて凄すぎます。

きっかけはファンレター

ふたりの文通が始まったきっかけはドラマと同様に古関裕而さんが国際作曲コンクールで入賞をした事。

1930年(昭和5年)1月に金子さんは新聞で「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という記事を目にしました。

この新聞記事を読んで衝撃を受けた内山金子さんは、古関裕而さんに「楽譜を送ってほしい」と手紙を書いたそうですよ。

そして、合計26曲もの楽譜を送りました。

古関裕而さんの息子の古関正裕が書いた〝君はるか 古関裕而と金子の恋〟には「だって『竹取物語』だよ。私はかぐや姫だから、何か縁があると思わない?」と述べられています。

ふたりはこうやって運命を感じたのかもしれませんね^ ^

まとめ

・古関裕而と内山金子が文通をしていたのは実話

・手紙のやり取りは数百通で合計26曲の楽譜を送った

・ふたりがやり取りをした手紙は残っている

・文通のきっかけは内山金子が送ったファンレター

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!