【エール】夏目千鶴子のモデルは関屋敏子?歌や代表曲は何がある?




2020年3月末から放送される朝ドラのエール。

小南満佑子さんが役を務める夏目千鶴子は関屋敏子さんという方がモデルなのではないかという情報がありました。

実際はどうなのか気になりますよね。

また、関屋敏子さんの代表曲や歌はどういうものがあるのでしょうか。

そこで今回はエールの夏目千鶴子のモデルは関屋敏子なのか、更に歌や代表曲は何があるのかという事についても深掘りしていきます!

さっそく見ていきましょう。

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【エール】夏目千鶴子のモデルは関屋敏子

小南満佑子さんが演じる夏目千鶴子。

エールでは東京帝国音楽学校の声楽科の生徒でソロリサイタルも開催するほどの実力者、更にヒロインの関内音の良いライバルになるという設定になっていますよね。

ソロリサイタルを開催するほどなので凄い方なのだとう事が分かります。

では、実際はどういう方がモデルになったのでしょうか?

リサーチしたところ、声楽家と作曲家の関屋敏子さんがモデルになったのではないかという事が分かりました!

関屋敏子さんは歌手として1914年から1941年まで活動されていました。

ジャンルはオペラと声楽。

海外ではヨーロッパでプリマドンナとして活躍されました。

プリマドンナはオペラの主役となる女性歌手の事になります。

どれほど凄い方だったのかという事が分かりますね!

詳しい経歴についてはまた後程紹介させて頂きます。

関屋敏子さんの父方の家系は医師。

母方の祖父はフランス系アメリカ人外交官チャールズ・ルジャンドルさん、祖母は池田絲さんという方だったそうですよ。

また、関屋敏子さんの育った家は敷地2,000坪あり、祖父のルジャンドルが購入したものなのだとか。

2,000坪と聞いてもどのくらいか直ぐに想像が出来ませんよね。

リサーチしたところ25mプール(6レーン)が20個分のスペースだという事が分かりました。

とんでもない広さですね!

職業、土地の大きさから考えると関屋敏子さんの家庭はとても裕福だったという事が分かります。

僕もそんな裕福な家庭に生まれたかった(笑)

歌や代表曲は何がある?

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ヨーロッパでプリマドンナとして活躍されていた関屋敏子さん。

過去にはどういう曲を歌われていたのでしょうか?

いくつか動画と共に紹介してきます!

庭の千草

宵待草

シューベルトの子守唄

恋はやさし野辺の花よ

どの曲も素敵な歌声ですね!

伴奏に電子音等がないので、歌の上手さが凄く分かります。

個人的には吹き替え版の白雪姫の唄を歌っていそうな印象でした!

関屋敏子の経歴

関屋敏子さんはオペラ歌手として日本のみならず、世界でも活躍された方。

どういう経歴があるのでしょうか?

先ほども少し紹介させて頂きましたが、更に詳しく紹介してきます!

分かり易く表でまとめました。

1904年 明治37年 実業家の父・関屋祐之介、母・愛子の娘として東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区)に生まれる
1908年 明治41年 4歳のころから琴や舞踊、長唄に親しむ
1910年 明治43年 旧制・東京女子高等師範学校附属小学校(現在のお茶の水女子大学附属小学校)に入学
1912年 明治45年 ・3年生の時、皇后御前演奏に独唱者として立ち、『春が来た』、『富士の山』を歌う

・日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手の三浦環に師事

1914年 大正3年 ・初めての発表会を行い、アントニオ・ロッティ作曲の『美しい唇よ、せめてもう一度』をイタリア語で独唱し、翌朝の『都新聞』に「天才音楽少女」と報道された

・三浦環の推薦により、イタリア人テノール歌手のアドルフォ・サルコリに声楽を学ぶ

1921年 大正10年 満17歳で東京音楽学校声楽科(現在の東京藝術大学音楽学部声楽科)に入学するが同校の主流はドイツ系であり、イタリア系声楽を学んだ敏子は異端視され、中途退学してサルコリに再び師事する
1925年 大正14年 作曲を小松耕輔に学び丸の内報知講堂で初リサイタルを行ないデビュー
1927年 昭和2年 イタリアに入学
1928年 昭和3年 ・ボローニャ大学から日本人初のディプロマ(特別卒業証書)を取得する

・元スカラ座のソプラノ歌手ロジーナ・ストルキオらの指導を経てオーディションに合格してミラノのスカラ座に入団

・スカラ座引越し興業の際、ダル・モンテが風邪で出演不能となった時、ヨーロッパを代表する劇場の一つバルセロナのリセオ大劇場で代役を見事に演じ、一躍ヨーロッパにその名を知らしめた

・プリマドンナとして活躍し、ドイツやアメリカからも主演の出演要請を受け各地を回った

1929年 昭和4年 帰国
1930年 昭和5年 ・オペラ『椿姫』で藤原義江と共演

・10月1日:帝国キネマ演芸が満26歳の関屋敏子を主演に、鈴木重吉を監督に製作したイーストフォン式トーキー『子守唄』を公開する。

関屋敏子の最初で最後の映画出演

1931年 昭和6年 ・再度欧米に渡り、ボローニャでベルリーニ『夢遊病の女』のアミーナを演じる

・自作の日本歌曲なども紹介

1933年 昭和8年 ・パリで自作オペラ『お夏狂乱』を発表する

・ニューヨーク、ロンドン、ベルリンなどでも活躍

1934年 昭和9年 ・帰国

・『お夏狂乱』を歌舞伎座で日本初演する

1935年 昭和10年 2作目のオペラ『二人葛葉』を東京の軍人会館で初演
1937年 昭和12年 農林省に務める柳生五郎(1897-?)と結婚するが、4年未満で離婚
1941年 昭和16年 11月23日未明、自宅で睡眠薬により亡くなる

様々な活動をされていたという事が分かりますね!

こうしてみると海外での方が評判が良かった様にも感じました。

歌に対する文化の違いもあったのかもしれませんね。

まとめ

・エールの夏目千鶴子のモデルは関屋敏子

・歌や代表曲は庭の千草や宵待草などがある

・様々な活動をされており、海外ではプリマドンナとして活躍していた

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!