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逃げ上手の若君/楠木正成の最後は死亡?その後どうなった・生きてるか解説

『逃げ上手の若君』は松井優征(まついゆうせい)原作の歴史漫画で、2021年から少年ジャンプで連載されています。

作中に登場する正成は戦略家として知られていますが、主君である後醍醐天皇に作戦を提案しても却下される事も多々ありました。

そこで今回は「逃げ上手の若君/楠木正成の最後は死亡?その後どうなった・生きてるか解説」というタイトルで書いていきたいと思います。

最後までお付き合いよろしくお願いいたします。

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逃げ上手の若君/楠木正成の最後は死亡?

楠木正成はとてつもなく腰が低く、頭を下げている時だけ変顔をする残念な大人だったので逃若党を困惑させた人です。

しかしそれは表の顔で本当は南北朝時代を代表する武将で、普段の腰の低さは周囲に警戒されないための芝居でした。

そんな楠木正成の最後は死亡したのか調べてみました。

1336年延元の乱では尊氏と敵対

楠木正成は1336年延元の乱では尊氏と敵対しています。

尊氏と敵対した結果、正成は敗北しました。

自らの敗因を”帝への忠義から逃げられなかった”と分析し、尊氏を倒せる人物は戦上手ではなく逃げ上手な人物だと実感した正成。

実際、時行に”逃げるのを生きるのをやめるな”という言葉を残しています。

帝に注進をした上で最期の戦いである湊川の戦いに赴いた

楠木正成は帝に注進をした上で最期の戦いである湊川の戦いに赴きました。

その際に”偉大な英雄ほど逃げ上手”だと帝に注進し、湊川の戦いに臨んでいます。

北条時行の死は中先代の乱で死亡したと知らされましたが、実は生きている事を見抜いていて最期まで時行の身を案じていました。

2度目の決戦地となる湊川の戦いを新田義貞と共闘

楠木正成は2度目の決戦地となる湊川の戦いを新田義貞と共闘しています。

2度目の決戦地である湊川の戦いを、勝ち目の薄い戦と分かっていながらも新田義貞と共闘する事を決めました。

望んだ環境を得られないなら自ら望んだ環境を作れば良いと考える楠木正成でも、厳しい戦になったようです。

尊氏を追い詰めたが敗北

楠木正成は尊氏を追い詰めたが敗北しています。

“帝によって今の地位を頂いた自分は大恩ある帝の敵であれば英雄だろうが子供だろうが倒さねばならぬ”というのが正成の信条でした。

しかし尊氏の圧倒的な強さの前に手も足も出せず、遂には逆に追い詰められた形となりました。

最期は骨喰の一刀で斬り伏せられ死亡

楠木正成は最期は骨喰の一刀で斬り伏せられ死亡しています。

知恵を死力を絞り切った分断策で尊氏をあと一歩のところまで追い詰めましたが、尊氏の磨き抜いた武力の前に敗北し骨喰の一刀で斬り伏せられました。

尊氏は心の底から正成の死を悲しみ、正成も本心から尊氏を”最強”と認めるなど敵対しながらもお互いを高く評価している様子が描かれています。

逃げ若/楠木正成はその後どうなった・生きてるか解説

楠木正成は武名に恥じないほどの武術の持ち主で、瘴奸(しょうかん)を倒した初見殺しの”鬼心仏刀”を初見で破っています。

相手の姿勢や体格、歩幅や間合いを読み取り確実に逃げられるよう掌握するなど、常に戦いを意識している戦人です。

そんな楠木正成はその後どうなった・生きてるか解説していきます。

尊氏を九州にまで追い落とすことに成功

楠木正成は尊氏を九州にまで追い落とすことに成功しています。

箱根・竹ノ下の戦いで義貞を破りそのままの勢いで活躍する尊氏の動きを予測、そして京の外へと後醍醐天皇を逃がし逆に防御の弱い京へと尊氏を誘導しました。

さすがの尊氏もこの罠にハマった上に楠木・新田・北畠連合軍の攻撃を受けては手の打ちようがなく、僅かな手勢を伴い九州に行くしかなくなったのでした。

尊氏のカリスマ性を前に顕家と共に警戒

楠木正成は尊氏のカリスマ性を前に顕家と共に警戒しています。

理由は勝利した方の兵たちが敗北した足利軍についていくという、常軌を逸した光景が発生したからです。

正成ですら”あり得ない事態だ”と呟いたほどで、尊氏のよく分からないカリスマ性を目の当たりにして顕家と共に警戒する事となりました。

この時代に離反というのはなかなかできない事だった為、正成が驚き警戒するのも当然かもしれません。

尊氏軍への対抗策として再び後醍醐天皇に召集

楠木正成は尊氏軍への対抗策として再び後醍醐天皇に召集されました。

尊氏が九州でわけの分からない逆転勝利をして攻め上がってきた為、その対抗策として再度後醍醐天皇に召集されています。

しかし、逃げる事をやめた事が原因で弱体化した帝に策を却下されてしまい”あの日見ていた夢は褪せてしまった”と失望するのでした。

多聞丸と次郎と別れる際に元服名を与えた

楠木正成は多聞丸と次郎と別れる際に元服名を与えました。

最期の戦いとなる湊川の戦いに赴く際に櫻井宿で息子の多聞丸と次郎に”正行”と”正時”という元服名を与えています。

その元服名には”母親に似て気性の激しい息子2人が命を大事にできるように”という正成の願いが込められているのでした。

しかし元服の”正行と正時”は『逃げ上手の若君』オリジナルです。

日本最高峰の英雄として崇められている

楠木正成は日本最高峰の英雄として崇められています。

日本開闢以来の名将と言われた正成は

・軍神の化身とされる”多聞天王(毘沙門天)の化生”

・儒学思想上最高の英雄とされる”三徳兼備”

など数多くの輝かしい尊称で敬われ、情報戦やゲリラ戦が得意な並外れた軍略家というだけではなく、電撃戦も得意な猛将としても高い評価を受けています。

明治時代には大楠公の名称で敬われ湊川神社で祭られる神になる

楠木正成は明治時代には大楠公の名称で敬われ湊川神社で祭られる神になっています。

明治13年(1880年)には、神社における神階の最高位とされる正一位(しょういちい)を追贈されました。

そして湊川神社の主祭神となり、現代では親しみを込めて”楠公(なんこう)さん”と呼ばれているようです。

楠木正成の再登場・復活はないと考察

楠木正成の再登場・復活はないと考察されています。

正成は死地と分かっていながらも最期まで天皇に忠義を尽くした人物です。

北条時行との関わりは京都滞在の短い期間でしたが、逃げ好き仲間としてかなり印象に残ったようで帝に注進する際にも時行の名前を出していました。

最期は尊氏によって死んでいる事が描かれているので、再登場・復活はないと考察されています。

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まとめ

・1336年延元の乱では尊氏と敵対。

・帝に注進をした上で最期の戦いである湊川の戦いに赴いた。

・2度目の決戦地となる湊川の戦いを新田義貞と共闘。

・尊氏を追い詰めたが敗北。

・ 最期は骨喰の一刀で斬り伏せられ死亡。

・尊氏を九州にまで追い落とすことに成功。

・尊氏のカリスマ性を前に顕家と共に警戒。

・尊氏軍への対抗策として再び後醍醐天皇に召集。

・多聞丸と次郎と別れる際に元服名を与えた。

・日本最高峰の英雄として崇められている。

・明治時代には大楠公の名称で敬われ湊川神社で祭られる神になる。

・楠木正成の再登場・復活はないと考察。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!

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