エールのメインとなる福島3羽ガラス。
大人になってから集結した所を見て、凄くテンションが上がりました。
朝ドラの作品にはモデルとなっている方々が多いですよね。
こちらの記事では福島3羽ガラスの歌や曲、更にモデルは実在するのかという事についても解説をしていきます。
それでは、さっそく見ていきましょう。
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福島三羽ガラスの歌や曲
福島三羽ガラスの歌はどういう曲があるのでしょうか?
こちらについてそれぞれまとめました。
福島三羽ガラスの一発目の曲は〝暁に祈る〟
この曲は1940年(昭和15年)に発売されました。
〝暁に祈る〟は松竹映画で制作された映画、「征戦愛馬譜・暁に祈る」の主題歌になります。
こちらのレコードは先行して発売されました。
映画は売れ行きはイマイチでしたが、レコードは大ヒットしたそうですよ。
他にも多くのヒット曲を世に出して行きました。
・1948年(昭和23年):若き日のエレジー
・1953年(昭和28年):岬の灯り
・1954年(昭和29年):福島音頭、鴎の笛
・1956年(昭和31年):メコンの舟歌
・1957年(昭和32年)二本松少年隊
多くの曲を出していますね^^
エールでも福島三羽ガラスの初めての曲として〝暁に祈る〟が披露されると思います。
山崎育三郎さんが歌うので凄く楽しみ。
福島三羽ガラスのモデルは実在する
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エールでは小山裕一、村野鉄男、佐藤久志の3人が集まり古山家で福島三羽ガラスという言葉が出てきましたよね。
幼少期のストーリーがあったので、この3人が集まった時は凄く見応えがありました。
福島三羽ガラスは実在するモデルがいますが、一体どういう方々なのでしょうか。
福島3羽ガラスとは
作曲家である古関裕而さんと作詞家の野村俊夫さんは福島県福島市出身。
歌手の伊藤久男さんは福島県本宮町(現:本宮市)出身。
3人とも福島県の出身でコロムビア(現:日本コロムビア株式会社)に所属していました。
更に上京後に苦しい下積み時代から励ましあってきた音楽仲間という事もあり、福島三羽ガラスと呼ばれる様になったそうですよ。
他にもコロムビアに所属していたという事もあり、〝コロムビア三羽ガラス〟〝コロムビア福島県トリオ〟等と呼ばれていました。
様々な呼び方があったのですね。
個人的には福島三羽ガラスという呼び名が好きです。
3人が一緒に映っている画像がありましたよ。
今日は、のちに #福島三羽ガラス と言われる #古関裕而 #野村俊夫 #伊藤久男 のストーリーでしたね♪
#村野鉄男 イケメンだった!またそのシーンでうるうる🥺
写真は古関裕而さんが31歳の時に当店に来訪の際の写真📷
福島三羽ガラスの貴重な写真です#朝ドラエール#石田星空#込江大牙#山口太幹 https://t.co/xcLTxXEV0s pic.twitter.com/E0b8tl2t1T— 日野屋楽器店 (@hinoyagakkiten) April 3, 2020
3人いると貫禄がありますね^ ^
モノクロの写真が味があって良い。
福島三羽ガラスが結成された経緯
エールでは古山裕一、村野鉄男、佐藤久志の3人は同じ小学校の出身で藤堂先生に物凄い恩がありますよね。
しかし、実際の福島三羽ガラスは少し違いました。
まず、エールの福島三羽ガラスのモデルとなっている人物は下記になります。
古山裕一:古関裕而
村野鉄男:野村俊夫
佐藤久志:伊藤久男
彼らがどのような経緯で日本コロムビアに所属し、福島三羽ガラスと呼ばれるようになったのか表にしてまとめました。
1904年 | 明治37年 | 野村俊夫が福島県福島市の大町にて魚屋「魚忠」を営む家に生まれる |
1909年 | 明治42年 | ・古関裕而が福島市大町で生まれる
・近所に野村俊夫が住んでいた |
1910年 | 明治43年 | 伊藤久男福島県安達郡本宮町で生まれる |
1929年 | 昭和4年 | 古関裕而と野村俊夫は「福島行進曲」を作詞作曲し、福島ハーモニカ・ソサエティーの演奏会で発表 |
1930年 | 昭和5年 | 古関裕而が日本コロムビアの専属作曲家となる |
1931年 | 昭和6年 | ・村野俊夫が上京し、おでん屋を経営しながら作詞家として活動始める
・古関裕而がレコードデビュー曲に「福島行進曲」を選び、古関裕而と野村俊夫はデビューするが、「福島行進曲」は売れなかった為、野村俊夫は日本コロムビアの専属作詞家になれず、フリーの作詞家として活動を開始 |
1932年 | 昭和7年 | 古関裕而の勧めにより6月25日付で「伊藤久男」名義でリーガル(コロムビアの廉価レーベル)から「今宵の雨」でデビュー |
1933年 | 昭和8年 | 6月:伊藤久男が日本コロムビアの専属歌手となる
12月:古関裕而とのコンビで「をどり踊れば」を発売するが売れなかった |
1939年 | 昭和14年 | ・野村俊夫が作詞した「上海夜曲」がヒットし、日本コロムビアの専属作詞家となる
・古関裕而・伊藤久男・野村俊夫の3人は、日本コロムビアの専属になり、「福島三羽ガラス」が完成して、いつか一緒に曲を作ろうと誓い合う |
エールでは3人とも同じ小学校で幼馴染だったりでしたが、実際は年は離れていたのですね。
福島三羽ガラスが結成されるまで、野村俊夫さんは上京してヒットするまで8年もの歳月がかかりました。
苦労が実に結ばれて本当に良かったです!
8年も諦めないなんて凄いですね^^
まとめ
・福島三羽ガラスは多くのヒット曲を出している
・福島三羽ガラスのモデルは実在し〝暁に祈る〟がヒットした
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最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!